2026年6月
日々のひとりごと正職員からパートへ——働き方を変えた理由
「働き方を変えてみてはどうですか。今が大事な時ですよ。一緒に考えていきましょう」
娘の担任の先生がかけてくれた、このひと言が、私の人生の向きを変えました。
検査技師として働き、超音波検査士の資格も取り、正職員という肩書きにしがみついていた私が、その肩書きを手放した日の話です。
娘が生まれてから、とにかく寝ない子でした。歩き出してからは、いつでも活発によく動く。眠りも浅く、私はずっと寝不足。仕事に復帰すると、精神的にも本当にきつい毎日でした。
保育園ではのびのび過ごしていたのですが、小学校の集団生活が始まると、少しずつ「あれ?」と思うことが増えてきました。しばらくして担任の先生から、「WISC検査を受けてみませんか」と。
成長すれば落ち着くと思っていた私は、「え?そんなに?」と動揺しました。
そういえば——思い当たることもありました。登校のとき、道路の向かいでお婆さんが荷物を落として転んでしまった。すると娘は、車の往来もかまわず飛び出して拾いに行ったのです。心臓が飛び出そうになりました(心配で、しばらく後ろからそっと見守っていました)。
当時はまだADHDという言葉が広まりはじめた頃。私は必死に本を読み漁りました。そして気づいたのです——「私にも、共通することが多い」と。なぜか怒られることが多かったのも、もしかしたら。もっと早く知っていれば、対処のしようもあったのかな。
そんなふうに日々に追われて、少し参っていたのかもしれません。見かねた担任の先生が、こう言ってくれました。
「働き方を変えてみてはどうですか。今が大事な時ですよ。一緒に考えていきましょう」
それが、きっかけでした。総合病院の正職員から、小規模の病院でほぼフルタイムのパートへ。生活は苦しくなりましたが、今は感謝しかありません。
娘はADHDと診断され——型は伏せますが、「右脳と左脳の差が大きいので、その子に合った学習方法を一緒に考えましょう」と支えてもらいました。みてあげられる時間が増えた分、やりたいことができるように一緒に学んできたと思います。ときには心無い言葉を受けることもありましたが、親子で負けじと強くなり、成長を感じることができました。もっとも、私の方は少し口うるさすぎたかもしれませんが。
ちなみに、成人した娘は今、「これまで母の言うことは聞かず、自分のやりたいようにやってきた。失敗も後悔も自分の責任」と、自分の考えをしっかり持って歩んでいます。頼もしいかぎりです。
私にとってのワーク・ライフ・バランス
あの頃の私にとって、やらなきゃいけないことは、正職員でい続けることでした。収入も、資格も、積み上げてきたものも、手放すのが怖かったのだと思います。
でも——本当に大事だったのは、あの時期に娘とちゃんと向き合うことだったのですよね。今ならわかります。
働き方を変えるのは、これまでを諦めることではありませんでした。何を一番にするか、選び直しただけ。検査技師も超音波検査士も、雇用形態が変わったくらいで消えるものではありませんでした。収入は減ったけれど、私の手元には、専門も、娘との時間も、ちゃんと残っています。
日々に追われて参ってしまう前に、少しだけ立ち止まってみる。「今が大事な時」に目を向けてみる。それくらいは、許してあげていいのかもしれません。
あのとき先生のひと言で立ち止まれて、本当によかった。同じように追われている誰かの、小さな後押しになればうれしいです。